私の雛人形の思い出
私が生まれたのは昭和21年。
戦争は済んだけれど、どこもかしこも焼け野原で雛祭りどころではなかった。
そんな状況にも関わらず、祖父が、町中を駆け回って、雛人形を探してきてくれた。
セピア色になった写真を見ると、フリルの付いた帽子を被った赤ん坊の私が正装した母に抱かれて、ひな壇の前に座っている。
旧暦で祝う雛祭りは、桃の節句の名にふさわしく、広口ガラス瓶に、たっぷりと桃の花が生けてあった。
畳は傷んで真っ黒だった。
お雛様どころではない世の中で、私は、みんなに愛され、待たれて生まれてきた、幸運な子どもだったのだ。
お内裏様には立派な御殿が付いていた。
御殿の欄干を組み立てるのが面白そうで、触ってみたかった。
薄いピンクのぼんぼりもかわいかった。
その人形は、毎年、どこかしらネズミかじられ、痛みがひどくて、とうとうおもちゃにしてもいいことになった。
祖父が町中を駆け回って探してきてくれた人形は、小五になった私にいじられて、壊されて、姿を消した。
でも、きらびやかな御殿を組み立てる喜び、お人形の滑らかな肌に触れる喜びはいくつになっても、鮮やかに残っている。
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